固定長→可変長

先日Web2.0なんてハイカラなことを書いたばかりだけど、急に固定長マインドと可変長マインドの間のギャップ、なんて古い話が気になっている。

固定長、を日常意識することは少ないんだけど、例えば何かの申込書での氏名入力欄や電話番号入力欄(ていうか電話番号)は、字数制限のあるデータの代表例だ。こういうのは保存されるときに「たかだか固定的な長さ以内」と制限されるため、容量や処理性能の把握が楽だ、というコンピュータ視点でのラクさがある。

そして多くのシステム屋は固定長でデータができることをよしとする。
が、これはコンピュータの処理能力が低かった頃の名残と、COBOL時代の癖でしかないと僕は考えている。

(現在でも、コンピュータにとっては、stream のポインタを固定長だけ移動させるのと、終了条件に辿り着くまで文字コードを見ながらポインタを移動させるのでは、前者が圧倒的に速いのは事実だ。だから多くのDBはデータの項目ごとに最大長を指定する)

このため、氏名は固定長でいいの? とか、電話番号は固定的なのが望ましいの? という議論がなされることは少なく、本来は可変長なほうが自然なのに、固定長を押し付けられる場合が多いことに、ギャップを感じるのだ。

例えばドメイン名やURLはどうだろう。厳密には最大文字数はあるけど、これが固定幅だと意識することは少ない。だからこそ、こんだけバリエーションのあるドメインやコンテンツが存在し、日々増殖しているのだ。そしてパスワードは通常可変長だ。(たまに固定長を要求するアホなのもあるけど)blogのエントリも可変長だ。人間が表現できる事象は可変長のほうが多いのだ。

が、固定長マインドというのは根強く、たとえばおおよそ全てのコンパイラにとって、変数名や関数名は可変長なのに、未だに関数名や変数名を固定幅で設計する人は実際いる。

ということで、DB屋は「本当に固定長が望ましいのか」という視点でデータを設計して欲しいし、可変長が許されている環境なのに、固定長にしようとしていないか、という振り返りをして欲しいなーと思うのだ。
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Web2.0概観

なにやらホットなキーワードであるWeb2.0についていろいろ読んでみた。わかりやすいのはこちらかなー。まだ定義されてるものではなく、理念としてどうだろう? とみんなで揉んでいる状態。訳文が 1 and 2。にあります。なるほど。

いろいろ整ったとして、利用イメージは例えばこんなだろうか。

  • ある人がコンテンツを示します。(日記でも言説でもニュースでもイベント告知でもおもろいURLでもamazonの商品でもヤフオクの品でも地図のポイントでもはてなキーワードでもWikipediaのエントリでも動画でも写真でもなんでもよい)

  • ただし、それらのコンテンツはコンテンツの文脈に沿ったフォーマットで、しかるべきメタデータが付与された、オリジンがはっきりした形で開示されます

  • 開示範囲はSNSのように閉じてもいいし、blogのように誰にでもOKでもいい

  • そのコンテンツはRSSブラウザで取得されるかもしれないし、SNS内で取得できるかもしれない。いずれにしても、フォーマットは一緒だ

  • それについてディスカッションするにしても、限られた人だけでもいいし、オープンでもいい

  • その情報は、自分のスケジュールに取り込んでもいいし、メールに添付してもいいし、自分のサイトで公開してもいい
  • 要するに自由だ


blogの世界は、trackbackによって、blogのエントリ間では「何について言及してるか」を明示すること、そして「誰に言及されているか」を明示することが可能になった。一方で、Web2.0ではblogのエントリに限らず、あらゆる情報は情報そのものが内包するメタデータを保持して流通し、利用者の好きなように使われていくのだろう。そして利用されるタイミングでtrackbackのように情報の発信者へ還元される、というのをイメージした。

さてこうなってくると、サービスの提供側はどうするかだ。

Web1.0はソフトウェア、Web2.0はサービスが価値というのは真だろう。この場合は、サービスの品質が価値なのだけど、情報の単位が小さく、パーソナルなものになっていくと、情報の信頼度も、同じく価値になっていくのではないだろうか。

情報の発信元として信頼できる人、を知る人はそれでいいのだけど、そうでない環境の人は情報の信頼度を保証するサービス、にオカネを払う、というものだ。現存のインターネットプロバイダ、サービスプロバイダの皆さんは、保有している名簿の利用法として信頼度という付加価値をどうやってつけるか、という視点を持ってもいいと思う。

そしてWeb2.0の活性化には、個人個人が、単なるツール利用者としてだけではなく、自分の情報はオープンにするマインド、オープンな情報、コンテンツを顕著かつ(嘘かもしれないという)リテラシを持って望むこと、が必要とされると思った。
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買わされないための仕組み

IIJに商用のインターネット利用が解放されて14年、blogが国内認知を得て4年くらい、で、気付けばネットの上には法人や個人による「買わせるための仕組み」がいっぱいな訳です。アフィリエイト狙いのサイト、広告宣伝費で動いているサイトの是非を問う、なんてことはしませんが、「買わせるための仕組み」ばかり先行して研究されまくってノウハウがどっかで秘密になっててウハウハになってる人がいる一方で、「買わないための仕組み」や、「買わされないための仕組み」についてはあまり研究されていません。

が、個人所得には限界値があるので、欲しがらせられまくって買いまくっていられる訳にもいきません。日々、上岡龍太郎には騙されないゾ! と眉唾で動いている私などは、できるだけ浅ましいアフィリエイトを踏まないようにしつつ、対価に納得するものにはお支払いする、という態度で(財布に)向き合ってるのですが、この、納得できる対価であるのかどうか、について、インターネットをどう利用するのが賢いのか、を研究してみたいもんすね。インスパイヤがどうとかで不買運動、なんてのだけが賢いインターネットじゃないもんね。

いや、コンビニ弁当も喰いますけどね。流通万歳。
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