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02/21/2005: "コンピューティングの自由"


コンピューティングとは「コンピュータを使うこと」にまるで相違ない訳だけど、Windows に月例パッチをあてつつ、Word で文章書いて Excel で表にして Outlook でメールして PowerPoint でプレゼンにして、Iria や Reget でダウソして、なんて行為をルーチンにしていると、果たして俺は今コンピューティングをしているのかと疑問に思うことがある。おっとまたF1押しちゃって変なヘルプが開いたぞ、おっとまた変な段組がなされて意図してない箇条書きになってるぞ、とか。おっとまたメールにテキストしか書いてない Word が添付されてるから、また一々 Word 立ち上げるぞ、とか。

んで家に帰って OSX を立ち上げて Mail.app などでメールを読んでると、迷惑メールフィルタがループに落ちたのかわかんないけど、ピタと固まってお返事をしてくれなかったり、撮った写真のサイズを変えようと思って GraphicConverter なんか立ち上げてペチペチやるのだけど、今一、こう、直感的な操作ができなくてイライラしたり。そして月例パッチ当てたり。こういう瞬間も、どうもコンピューティングをしている気分にはなれない。言い方は悪いけど、OSとアプリに隷属しているような気分になる。

俺がUNIX好きなことは大分前に書いたことがあって、その際に醍醐味としたスタイルについて再度考えると、こういう、データモデルも加工手段も、OSやパッケージソフトという呪縛を離れて自由に選択できる状態こそが、コンピューティングの本質なんじゃないかと思う。タダだから望ましいとかじゃないくて、手段が自由になるから望ましいのだ。(例えば Photoshop や ImageReady のドロップレットは、Adobe のエンジンを使って単純作業を省力化するいい手段だ)

例えば、最近教えてもらった海外動向だけど、携帯電話はキャリア非依存になる流れがあって、この流れが国内でも有効になれば、汎用携帯を買ってSIMカードを入れ替えれば、Docomoでもauでもvodafoneでも使えるようになる日が来るようだ(でもたぶんWILLCOM対応はムリだろう)。これも、キャリアという障壁を越えて好きなツールを選択できる自由がある好例。

かといって一足飛びに身の回り全てをGNUにしちゃうという選択も困難で、苦悩は続くわけだけど、「好きな処理方式をどこでも採用できる状態」こそがコンピューティングの自由とし、目の前の環境を config していく姿勢は忘れないようにしていたい。

とりあえず Windows には cygwin をブチこもう。OSX には DeveloperTool をインストールしよう。モバイルしたかったらリナザウを持とう(←これはちょっと高い)。

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