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11/27/2004: "based on 自然科学"


突然ですが、全ては演繹的に自然科学の原則から導出できるのでは? という考え方が科学の発端であり、その考え方に準じて、自然科学を「客観的事実」と置き換えて一般性のある推論を行うことが科学的な思考というものと認識している。そして理系脳の基本動作は科学的な思考、に支配されている。こうした考え方は、Aさんの疑問に対し、Bさんが客観的事実を積み上げて解決してあげる、というプロセスで用いられる。ソリューション屋として日銭を稼ぐ身としては、こうした考え方が日常だ。
(ちなみに困ったちゃん理系の困ったちゃんたる所以は、客観的事実を自然科学にまで掘り下げたがり、結果として局所的な解を求めがちなとこにある)

ただし、世の中には客観的事実なんぞ積み上げてられない問題も多々ある。例えば「次の法律は何が最適ですかね」という命題は、ちまちまと客観事実を積み上げて…というアプローチよりは、利害関係者の最大多数が最大幸福になるように考えられたり、単に既得権益を保護するために考えられたりすることが多いだろう。もっと個人的な話としては、例えば「何着るとカッチョよいですか」という命題に関しては、客観的事実は大したパラメータにならない。評価者の主観を洞察して合わせるもよし、着る人の主観で好きに選んでしまうもよし。科学的な考え方はさほど役に立たないのだ。「ギターの音質は何がいいですか」という命題もそうだ。

ここで理系脳野郎は「(客観的事実を積み上げられない)科学的に解決を図れないことはそもそも問題として不適切だ」という拒絶を示す。てか俺は示してしまう。のだが、これは一個人として何かが欠落してるなー、ということが最近わかった次第。
科学的な推論には人格は必要としないから、どんどん人格が透明化するんだな。

ドラクエ発売日のウキウキ感で寝られない間にこんなことを考えておりました。ドラクエやって人格を取り戻そう。

(これとは別の話で、客観的事実について議論すべき領域に、「結局、自分だよね」とか「気持ちの問題だよね」とかいった、おかしな主観を混ぜ込むことだけは止して頂きたいものだが、同時に、理系脳野郎は客観的事実だけを求めて、気持ちの問題を問題として扱わないクセがあることを認識すべきだろう)

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